フレンチの培った技術と情熱を一皿に込めて「ビストロ フジヤマ」

人図鑑

ビストロ フジヤマ
オーナーシェフ 鈴木 将隆さん 

事業内容
フランス料理を主とした洋食レストランの経営
テイクアウト・お弁当の販売

プロフィール
1971年2月20日生まれ、53歳。行田生まれ行田育ち。行田高校商業科を卒業後、パレスホテル東京入社。20年間料理の修行を積む。38歳の時に独立して、行田で「ビストロ フジヤマ」を開業。今年で16年目となる。

——どんな学生時代を過ごされたのですか?

中学では剣道をやっていました。チームプレーより、個人プレーが自分に向いていたみたいです。そこで結構ね、リーダーシップをとっていたと思います。部員が30人程いましたけど、部長をやっていました。その後、高校では柔道をやりました。

——鈴木さんのキリっとした雰囲気は、武道からきているんですね!フランス料理の道に入ろうと思ったきっかけは?

父親が寿司屋をやっていて、家に食材がいっぱいあるんですよ。親の仕事の終わりを待っていると夜遅くになってしまうので、自分で夕ご飯を作るようになって、そこから料理をするようになりました。美術が得意だったので、手先をつかうような美術的なものを職業にするといいかなって思っていました。ちょうどその頃、テレビ番組でシェフっていうのがよく出てきていて、シェフの高い帽子やネッカチーフも良いなって。それで、中学の時にはもう洋食の料理人になろうと思っていました。

——高校卒業後にすぐパレスホテルに入社されたのですか?

たまたま親戚がパレスホテルの料理人で、その人も行田高校から入社したんです。自分もその道でいけるかなと思って。1年目は食材運び、それだけです。ホテルって冷蔵庫が地下3階にあったり、野菜は1階にあったりとか…、ホテル内の各レストランから欲しいものが自分のところにきて、それを集めて持っていく。1年目で色んなセクションの人と会えるので、顔をそこで知ってもらえました。

——食材運びだけって辛くなかったですか?

それはなかった。だって自分より下がないって常に思っていたので。先輩からあれ持ってきてくれって言われることが嬉しかったです。2年目になって、肉と魚の仕込み。今度は、系列の経団連会館へ行けと言われ、そこでサラダ・フルーツを1年、次に野菜で1年。で、5年目で魚料理、6年目でオードブル、7~8年目は肉料理。下積み時代は、色々先輩に注意されることがあっても、2回までは許しを解いてもいいかなと思っていたけど、3回目はもう絶対に聞かないぞっていう風に自分の中で心がけていましたよ。

そして9年目、今度は経団連からパレスホテルに戻ることになって、そこでようやく一品自分が作れるようになりました。9年がかりで一皿ちゃんと作れる料理人になったという感じです。

——長い道のりだったのですね!その後は?

その後は、ホテルの1階にある洋食レストランで6年間ストーブ前といって、火の前で料理をする担当をしました。そして、今度は料理長から「お前、フランスへ研修に行ってこい」と。それまではみんなフレンチレストランからの派遣でフランスに行っていましたが、自分のような洋食レストランからは初めてでした。フレンチレストランのコックだったら、料理用語も材料も普段から全部フレンチでやっているけど、自分はそうではなかったので、大変さはありましたよ。

——フランスに行って、言葉はどうしたのですか?

フランス語とか全然分からないし、向こうのシェフは日本語はもちろん英語もしゃべってくれないし、もう辞書片手に…。でも料理用語だけは覚えておこうと思って。最初パリで3週間、高等料理学校っていうフランス人の料理学校に入りました。そこで勉強した後に、リオンにある2つ星のレストランに行って2カ月研修しました。

——やっぱり、フランス料理のレベルって高いんですか?

全然違った!例えば、必ず塩コショウっていうのが基本で、きっちりこの味をつける。あとは、肉の焼き方とか、今まで自分が経験してこなかった焼き方もあって、その基本がすごくあるんです。それを完璧にマスターできないと次のステップに行けない。現地の料理人は、本当にプライドがあるっていうか、料理に対するエスプリ(情熱)が違うって感じました。でも、日本人は器用なので肉の下処理や魚をさばくとか、それは日本人の方がうまいって感じました。ナイフを砥ぐっていう技術も持っているし。その辺は、日本人とフランス人の違いはありますね。

——すごい経験ですね!日本に帰ってきてからは?

帰国したら、ホテルの10階のフレンチレストランで5年やりました。色々苦労もありましたけど、やっぱり東京で働いて良かったと思うひとつは、要人にサービスできた事です。経団連にいた時は、歴代の経団連の会長、例えば東京電力会長の平岩外四さんやトヨタ自動車会長の豊田章一郎さんなど、そうそうたる財界のメンバーに料理を提供させてもらいました。パレスホテルでは、小泉純一郎さんなど普通に料理人をしていたら、会えないような人にサービスできたのも貴重な経験でしたね。

あとは、フランスに行かせてもらったこともあってか、料理長にコンクールに出るように言われ、チャレンジしました。そこで運よく優勝できたんです。たぶん自分のホテルで初めてタイトルを獲った人間になれたので、その経験も大きかったです。最終的にはスーシェフという料理長の次のポジションまでいきました。

——修行時代、一番大変だったのは?

何より、通勤が一番大変でした。24歳の時に行田に自宅を構えていたので、朝5時20分の電車に乗って、一日立ち仕事して、帰ってくるのは下手したら遅い時は深夜1時でした。そして、また4時半に起きて出てくるっていう…。

——行田での開業はずっと考えていたのですか?

そうですね、やっぱり親父もひとりで店をやっていたし、周りの親戚も経営者が多かったので考えてはいました。ちょうど自分が38歳の時、ホテルが建替になり、いい機会だと思って独立することにしました。子供たちが小学校に入ってちょっと落ち着いた時だったし、タイミング的にも良かったです。

——この場所にお店を構えようと思ったのは?

やっぱり目掛けて来てもらえる店にしなくちゃと思っていたので、駐車場は必要だと思っていましたけど、その他はあまり考えてなかったですね。自宅の近くで、たまたま縁があって、ここでお店をやろうと銀行に融資を受けに行った時も、「いや、あの場所でフレンチは無理だろう」って言われました。でも行田に無いものを出せば、家族で食べていけるくらいは稼げるんじゃないかと思って。ここは、すぐそこに前玉神社があるじゃないですか。昔、江戸時代の頃から神社の周りの歓楽街で、商売の賑やかなところだったそうです。商売をやるにはいいんだよと、地元の人から聞いて、そうなんだって自分の中で納得するようにしてました。店の名前も、ここが富士山っていう地区なので、「ビストロ フジヤマ」にしました。

——ここで、一緒にお店をやられている奥様にもインタビューさせてくだい!出身はどちらなのですか?

朝子さん:実家は新潟なんです。都内の大学卒業後にパレスホテルに就職し、事務方として働いていて、宴会の予約などを担当していました。主人とは経団連で一緒にお仕事をしていたのが縁で、結婚して行田に来てからも、私も1年は行田から東京まで仕事に通いましたが、出産を機に退職しました。

——お店づくりでのお二人のこだわりは?

朝子さん:畳のお座敷だったところを、フローリングにしようかオープン前に考えましたが、主人は和の雰囲気を残したいというので、畳のお座敷のままでオープンしました。赤ちゃん連れの方に好評だったり、宴会時には人数がたくさん入ったりの利点もありましたが、コロナがきっかけで、やはり座りやすいテーブル席に変更しました。主人と一緒にテーブル探しに骨董通りまで見に行ったり、やっと気に入ったものが見つかりました。お店のお花は母が全部お世話してくれていて、朝早くからお花を生けてくれています。

——接客で心がけておられる事は?

朝子さん:ホテル勤務にしていた時、サービスは全くしていなかったので、本当に素人で始めました。サービスのマナーなど分からない事も多いですが、お客様が心地よく過ごしていただけるようにっていうことを常に心がけています。例えば、お客様の会話の妨げにならないようにとか、あとはこちらがバタバタしていても、お客様にそれが伝わらないようにとか…必死です(笑)。

——その他、鈴木さんがお店づくりでこだわったことは?

やっぱりオープンキッチンですよ!誰に見てもらっても恥ずかしくない料理を作っています。料理を早く温かいうちに、お客様に出さなきゃっていうのがあって、妻と連携してやっていくのに、時々ピリッとした空気が出ちゃうこともあるけどね。

——プロ意識ですね!お料理への想いは?

フランスに行ったときに教えてもらった、肉や魚の火入れとか、基本のソースや食材の処理の仕方だとか、そういう基本を崩さないように、お客様に飽きられちゃう料理は作らないようにしています。クラッシックの王道を行こうと。本物を出すというか、今お店で使っている食材も、東京に行っても絶対負けない食材です。そして、温かいものは、温かいお皿でお客様に提供したいと心がけています。

——おすすめメニューを教えてください!

クラッシックグリルチキンは、肉の下処理や火入れの腕が試される王道のメニューです。味付けはシンプルに塩コショウ、そこにレモンを添える。綺麗に骨だけ残して、食べてくれるお客様も多いので、満足してくれたのかなと思っています。

他には、さっきも言ったホテルで9年経って初めて一皿の料理を作ったっていうのがローストビーフでした。今は料理人でも機械を使って作っているところが多いけど、自分は金串で刺して、自分で焼いています。そうじゃないと、不安で。フランスで教わった基本を大事にやっています。

——ご苦労されている事は今ありますか?

やっぱり食材の価格高騰ですね。為替の影響もあるので、フランスからの輸入物がめちゃくちゃ高い!もう倍です。その他に、ヨーロッパで数年前に鳥インフルエンザが流行って、日本で許可されていないワクチンを打っている影響で、今まで使っていたフランスのメーカーのフォアグラが入手できなくなってしまいました。そのフォアグラは下処理に凄い手間をかけていて、だからあのクオリティでフォアグラ料理を提供できたんです。他のフォアグラではうちで出していたクオリティは出せないので、それが入ってこないうちは中途半端には出せないです。入手できるまであと2、3年はかかるそうです。

——お弁当やテイクアウトも展開されていますよね?

コロナでお店の営業ができない時があって、逆に奮起したというかね。市内の学校の先生達が、昼食に困っている話を聞いて、500円位のお弁当メニューを作って、注文をとって配達しました。おかげさまで評判も良くて、それからお弁当が繋がり、今では少し価格設定を上げた、高級志向のお弁当を展開しています。12月の終業式の頃には学校からお弁当の注文たくさんいただくし、製薬会社さんがドクターとの勉強会のお弁当として使ってくださっています。そうすると、今度はドクターが宴会で使ってくれたり、繋がりもできたのでお弁当はやって良かったですね。

——健康管理で気を付けていることは?

やっぱり15年前とは体力が違うので、体調管理には気を遣ってますよ。今は毎日仕事終わりにサウナに行って一時間半汗を流しています。サウナって結構みんなコミュニティがあって、そこでまたお客さんをつかんだりできるんです。その他に、24時間営業のジム通いもしていますし、お酒の量もセーブしたりしていますよ。

——今後の展望を教えてください!

持論なんですが、例えば10年修行した人には10年分の引き出しがある。その考えからすると、自分は20年修行してきて、お店が15年なので、あと5年なんです。その頃は自分も58歳だし、そしたらもっとパーソナル方向にシフトしてみてもいいかなと思っているんです。昼はこのままの形態で、夜はパーソナルビストロっていう感じで、3名のために料理を一緒に考えて作るとか。若者向けで、コンビニへ一緒に買い物に行って、それをフレンチに料理しようとか…。あとは実現できそうなのが、自分たちより少し若い世代の経営者さんを4、5人集めて、料理を囲みながら、ビジネス交流をするとかね。新しいパーソナルな形のレストランもいいなって思っています。

ビストロ フジヤマ
行田市大字埼玉5292-2  2F
048-594-6667
営業時間:11:30~14:00 / 17:30~21:00
定休日:月曜日
http://www.bistro-fujiyama.com/

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